皆さん、こんにちは。いかがお過ごしですか?
最近、老子や荘子をじっくり読み返す時間が増えてきました。
なんとなく、時代の流れが老子を求めているように感じるからです。
私自身、まだまだその奥深さを理解したとは言えません。
表面をなぞる程度の理解かもしれないけれど、
それでも魂の深いところに染みわたるような感覚があります。
今回は、老子「俗薄第十八」の言葉を読んでみたいと思います。
「大道廃れて仁義有り」
いきなり、こう始まります。
世の中が乱れているとき、「仁だ」「義だ」という言葉が声高に叫ばれる。
老子はそこに警鐘を鳴らします。そのような言葉が持てはやされる時代こそ、
注意深く立ち止まって見なさい、と。
そして続きます。
「智恵出でて大儀有り。六親和せずして孝慈あり。国家混乱して忠臣有り。」
本当の智恵とは何か。本来の親孝行とは。真の忠義とは何か。
言葉の表面ではなく、その本質を問い直せ、ということです。
昔から、世の中の本質は変わらないのかもしれません。
当たり前のことが当たり前に発揮される世の中では、
「仁義」も「孝行」も「忠義」もわざわざ言葉にする必要がない。
それらが声高に語られるとき、
むしろ世の中の何かが失われているサインかもしれない。
そう考えると、今という時代が少し違って見えてきます。
改めて、当たり前のことを自問自答してみようと思いました。
参考文献:『老子、荘子』(新釈漢文大系、明治書院)

富岡八幡宮